2004/12 ボランティアレポート
プラスィー村の小学校より、ソンポン・カムチャイウォン住職に緊急にボランティアの要請が届きました。
「学校には机や椅子はない」
「水を下の川までくみにいかなければならない」
「村は貧しく子供たちは最貧困に属している」
早速、住職と調査団が入村しました。
訪問先
プラスィー村

救援物資と募金
日本から募金を送金。チャンマイのボランティア団が古い材料を持ち込んで現地で机と椅子を作製、ポンプを寄贈。(2005/2/6)
プラスィー村は、タイの最北に近いメーアイという小さな町から6km山に入ったところにあります。
古いしきたりのある少数民族の村で、ミャンマーとの国境に近く、軍の管理下にある村です。
この村に住んでいる世帯は11世帯。この小さな村に14人の子供が通っている小学校があります。
ですが、その小学校とは……。
学校とは名ばかりの木の葉の屋根。教室は柱に布を巻いただけの簡素な部屋です。
もちろん机や椅子はなく、黒板は白い板を代用しています。学校の先生は軍の兵隊が兼ねていました。
村は非常に貧しく、子供たちは家で満足に食べることができません。子供たちは、軍から与えられる食べ物を得るために学校に通っているのです。
小さな村なので国からの援助はほとんどなく、水は毎日下の川まで汲みにいかなければなりません。水汲みは子供たちの日課になっています。
そんな子供たちに、教育を受ける余裕はありません。
 

 
チェンマイのソンポンカムチャイウォン住職から緊急の援助要請を受け、私たちは2005年3月に「水のポンプ」と「机と椅子、学用品、古着等」を贈ることにしました。(詳細:ボランティアアルバム)
 
閑話休題
この村には、「ミダ」という二人の若い女性の悲しい話がありました。

「ミダ」とは男たちの為にだけに選ばれた二人の美しい若い女性のことです。
特定の日のお祭りに村で「ミダ」に選ばれた若い女性は、本人の意志にかかわらず求められれば複数の男たちと関係を持たなければなりません。昔、嫌で逃げていた若い女性が連れ戻されて殺されたことがあったそうです。
下の写真は、現在では現地の兵隊が禁止しているそうですが、そのときの踊りを再現している写真です。 
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