2005/3 ボランティアレポート
オムコイのバーントゥンロイ小学校とプラスィー村のその後のご報告です。

訪問先
オムコイ・バーントゥンロイ小学校、プラスィー村

救援物資と募金
オムコイ・バーントゥンロイ小学校に「放送設備(スピーカー、マイク、アンプなど)、理容の椅子、バリカンなどのセットと古着」を寄付。(2005/03)
プラスィー村へは、チャンマイのボランティア団が古い材料を持ち込んで現地で机と椅子を作製、ポンプを寄贈。(2005/2/6)
3月、オムコイのバーントゥンローイ小学校に「放送設備(スピーカー、マイク、アンプなど)、理容の椅子、バリカンなどのセットと古着」を寄付しました。
なぜ学校側が理容のセットを希望されたかというと、子供たちの将来の職業訓練になるからです。
子供たちが大きくなって町に出て仕事をしたくても、仕事を見つけることができません。また町に出て行くこと自体とても難しいのです。
よしんば仕事を見つけられたとしても、道路工事や工場などで安い賃金・肉体労働といった厳しい労働条件の下で働かなければなりません。
理容の技術は生活や職業に役立つばかりでなく、学校での子供たちの衛生面で役に立ちます。


プラスィー村では、現在、国境警備隊の兵隊さんの先生で子供たちは屋根のある机で勉強しています。
このプラスィー村は、正式な学校がなく、先生もなく、タイの住民登録をしていないので国籍もなく、村の人々は自由に町に行くこともできません。またこの村は、ミャンマーからの麻薬の密輸などの危険に直面しています。
ましてこの少数民族の女の子たちには、「ミダ」の悲しい屈辱的な古い風習があるのです。

国境警備隊の兵隊さんたちも決して生活に余裕あるわけではありません。
ですが、兵隊さんたちはこの子供たちの将来に夢を持ち、空いた時間に勉強を教え、食べ物を分けてあげています。
子供たちは兵隊さんが分けてくれる食べ物を頼りに学校に通っています。家では食べることができないのです。
兵隊さんたちは、子供たちへの教育はタイの国の将来にとても重要なことだと感じており、困っている子供たちに尽力しています。
私は、一緒に話をしていて熱いものを感じてばかりでした。
この村には、8歳のけなげな女の子「ナーダちゃん」が村の子供たちと一緒に勉強しています。
今、彼らはこの「ナーダちゃん」を何とか町の学校に行かせることができないか考えています。そうすれば「ミダ」にならなくてもいいのです。
しかし村の人々同様、「ナーダちゃん」にはタイの国籍がなく、また教育を受けるための費用の面など、多くの問題を抱えています。
私には「ナーダちゃん」が無事に町で教育を受けることができることを祈るだけしかできません。
メーアイとメーサリアンの隊長たちとの面談の後、小隊長は「タイの軍隊は国王の為にはなんでもします。」と胸をはって私に言いました。 
(文責:林田好雄)

プラスィー村の学生
(真ん中の女の子が「ナーダちゃん」)

プラスィーの兵隊さんたち
閑話休題
この村には、「ミダ」という二人の若い女性の悲しい話がありました。

「ミダ」とは男たちの為にだけに選ばれた二人の美しい若い女性のことです。
特定の日のお祭りに村で「ミダ」に選ばれた若い女性は、本人の意志にかかわらず求められれば複数の男たちと関係を持たなければなりません。昔、嫌で逃げていた若い女性が連れ戻されて殺されたことがあったそうです。
下の写真は、現在では現地の兵隊が禁止しているそうですが、そのときの踊りを再現している写真です。

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