2004/11/20,21 ボランティアレポート
オムコイのトゥンティエン村とウートゥン村、ナーキアン村に支援物資を届けました。

訪問先
オムコイ・トゥンティエン村・小学校、ウートゥン村、ナーキアン村

救援物資と募金
オムコイ・トゥンティエン村、ウートゥン村、ナーキアン村に食料と募金を寄付。参加人数35人。
11月20日
 午前7時、チェンマイ市内に集合、出発。
 午前11時、途中オムコイの町で昼食。タイのお坊様の食事は朝食と昼食のみ。午後12時以降は食事を取ることができません。
 午後2時、以前ケシ畑だったというところを見学。過去にケシ畑があったのが、王妃のケシ畑撲滅の活動の一環により、現在は国の補助で果物などの苗を植えたり豚の飼育が行われるなどしてケシはなくなっているけれども、代替作物や新しい生活は根付いておらず、村人の生活は依然として国の補助に頼っているのが現状です。
 午後4時、トゥンティエン小学校に到着。早速救援物資と募金を手渡しました。
 校庭には前回の訪問の後、チェンマイの人から寄贈された大きな仏像がありました。
  夜には先生たちや近くの生徒や寮生たちと会話。
 昨年6年生だったムーチャイ、ムープ、プワントーンが無事中学校にに進学しましたが、お金がなく、通い続けられるかどうかわからないと聞きました。この件はチェンマイに帰ってから相談し、奨学金を出すことにしました。
 1年間1人8000バーツ(約22000円)、今後卒業生で優秀な子で中学進学のお金がない子供には奨学金を送ることにしました。
  選考方法や奨学金の管理などはダーラ先生と中学校の校長先生とでしていただきます。
 また、3人は昨年に「一度でいいからジーンズをはきたい」と言っていたので、今年8月にこの3人と優秀な在校生の2人にジーンズを渡していただけるよう、ダーラ先生に届けました。2人の分に関して、現在5年生のムーナーンとプレーンパという子が受け取ったようです。
  お礼のお手紙を頂きました。(詳細:子供たちの手紙)
 ムーナーンは今回会ったときはやつれていましたが微笑を絶やさない子で、ジーンズをプレゼントしたとき「こんなに綺麗なズボンは見たことがない」と大変喜んでいました。
  中学進学のことについては、お金がないので分からないと言っていました。
  驚いたのは、日本の事や村の外をいろいろ知っていたことです。
  1年前に私たちと知り合ってから村の外に目を向けるようになり、多くの知識を吸収したのでしょう。
 もう一人のプレーンパという子も大変優秀な子で、良く勉強していました。
  彼女は学校から道のない山を5キロも行った所に住んでいて、現在は寮で生活していますが、週末になると実家に帰るそうです。
 彼女は先生が少ない理由で十分に教育ができない小学校から連れて来られた子だと、ダーラ先生がおっしゃっていました。
 ダーラ先生は本当の教育者で、遠い村にも出かけて行って優秀な生徒で向学心のある子供を自分の学校につれてきたりもしています。
 トゥンティエン小学校は校長先生のご努力で先生が6人います。
  生徒は200人です。しかし、生徒が200人に先生が1人か2人という十分な教育ができない小学校がたくさんあります。
  そのほとんどは、先生がすぐ辞めてしまうほどの僻地です。
  雨季は交通がまったく閉ざされ、途中までバイクで後は徒歩で何時間もかけて悪路を歩かなければならないところです。
 トゥンティエン小学校も数年前まではそうでしたが、ダーラ校長先生が募金と私財で資金を作り、村人に呼びかけて道路を一部補修したりして雨季でも交通を遮断されないようにしたそうです。
 今回昨年の義援金で飲み水の機械を購入していました。
  これで温かい水と冷たい飲料水が好きなときに飲めると喜んでいました。もちろん生徒も飲むことができます。
 今回、3年生のパチャリーを紹介されました。
  非常に優秀な生徒で寮生ですが学校が終わった後1時間かけて自宅に帰り、他の子供達の服の洗濯や世話をして、また夜に帰ってくるそうです。
  しかし表情は硬く、笑顔もなく無表情だったのが印象的で、夜も半袖のシャツしか着ていなくて汚れた薄い毛布をまとっていました。
  私は、私の子供が着ていたジャケットを脱がせてあげてしまいました。
 校長先生によると前回の訪問で最も良かった事は生徒が喜んでだけでなく、先生たちが勇気付けられたことだそうです。
  私達が来るまでは自分たちの苦労が誰にも知られず無力感があったそうです。
  しかし私達やチェンマイの町の人たちが来たことにより自分達がしている苦労が少し認められ、外の世界に知られることで張り合いが出たそうです。
  ダーラ校長先生はお金以上の貴重なもので、このことを一番感謝しておられました。
 
トゥンティエン小学校の先生方とダーラ校長
 校長先生に次回の援助の希望を聞くと、アイスクリームがいいとおっしゃっていました。
 子供たちは本などでアイスクリームを知っています。
  しかし食べたことはもちろん、見たことも触ったことすらもない子供たちがほとんどです。
 一度でいいから食べさせてあげたいそうです。
 帰る前に生後1ヶ月の子供を抱いた15歳くらいの母親に会いました。
 子供の父親はいなく、まだ国籍に登録もしておらず、皮膚病を患っていました。
 この母親は11人兄弟の末っ子で十分な教育も受けていなかったようで……今後どうして生活していくのでしょうかと考えてしまいます。 トゥンティエン村には医師がいないのでとりあえず近くから医師を派遣することにし、費用を渡しました。
 前回と同じようにトゥンティエン小学校内で宿泊後、翌21日午前8時、新しい次の小学校に向けて出発しました。


11月21日
 午前10時、第二の訪問先・ウートゥン小学校(ワッチャリー小学校)に到着。早速募金と支援物資を手渡しました。
 設備や環境はトゥンティエンよりましで医師もいますが子供達ははだしの子が多かったです。
 そして集合するときには大きなアルミの皿やスプーンを持ってきた子もいました。
 一瞬難民を想像しました。子供達に配った物資の中に牛乳があり子供たちは「わー牛乳だ!本当だ!」と大喜びでした。
 一部の子供達が以前に1回だけ牛乳を少し飲んだだけだそうです。
 
ウートゥン村小学校の子供達
 30分くらい滞在し、第3の訪問先・象が農耕している村ナーキアンに向け出発しました。
 ここへの道は本当に悪路で川に丸太をかけてそこを車が通るようなところもあり危険でした。気候の良い時期でもこのようであり雨季には途中から徒歩で何時間もかけていかなければ行かないところです。
 このナーキアン小学校(チャラート小学校)では200人の生徒に対し、先生は校長先生ただ一人という状況でした。
 一応先生は4人居たそうですが、みんな辞めてしまい、補充は来ない状態だそうです。
 設備だけは綺麗でしたが国からは援助がほとんどないそうです。
 本当にタイ国旗がひるがえるだけでタイ国内だとは思えないほどのところでした。
 
ナーキアン村と象の農耕風景

 お蔭様で募金及び支援物資を届けることができました。
 ご協力を感謝いたしますとともに今後ともオムコイの援助にご協力よろしくお願いいたします。
 また奨学金ですが里親として中学校の卒業まで学業費の援助をして頂ける方を募集しております。
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